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「続・アカスリ半田劇場」 連載第6回

「続・アカスリ半田劇場」スポーツニッポン(朝刊) 2014年09月24日

  続・アカスリ半田劇場第6回記事

©2014スポーツニッポン新聞社

「人生に影響与えたトカラ列島での釣り」

“はるばる”自分で足を運ぶことの大切さを学んだ

 魚釣りも好きだと言う半田氏が、釣りから学んだこととは――。
 防波堤での釣りや、アユ釣りなどを楽しんでいた半田氏。しかし、奄美大島から、船で5時間かけて行ったトカラ列島で、ムロアジを餌に、37キロと24キロのロウニンアジなど16匹を釣り上げたことが、人生に大きな影響を与えた。
「はるばると、誰も来ないような遠くの海で、美しくて大きい感動的な魚が釣れたことで、44歳での音大受験を決心した」。40歳から始めた、プライベートレッスンで声楽は頭に入ってはいたが、“はるばる”音大に行かなければ、音楽理論の基礎や歌やオペラの高い領域にはいけない、と感じたからだ。46歳で武蔵野音大特修科声楽専攻を卒業し、47歳からは、西オーストラリア州立エディスコーエン大芸術学部大学院に入学し、3年がかりで修士号を取得。その後、世界5大バリトンの先生について、50歳から毎年フルのオペラの主役をやった。それを10年間続け、バリトン主役の、ほとんどの難曲をやりこなした。
 また「はるばる南アフリカに行ったら、ボクシングの元ヘビー級世界王者イベンダー・ホリフィールドに会えた。はるばるニューヨークに行ったら、ビル・クリントン元米大統領に会えた」。今、世界中で、たくさんの活動ができているのも、“はるばる”、自分で足を運んだからこそできたと言う。
「難しいことに挑戦しなければ、誰もできないようなことはできない。その意味で、トカラ列島での釣りから学んだことは大きかった」。遠路はるばる、でかい魚がいる所に飛び込んで行き、真正面からぶつかって釣ってくる。「度胸と根性がないと、一生防波堤釣りで終わってしまう。今は、どんな釣りでも好きですけどね」と笑った。(おわり)

 半田 晴久(はんだ・はるひさ)1951年(昭和26)3月18日、兵庫県西宮市生まれ。県立鳴尾高、同志社大経済学部、武蔵野音大特修科卒。その後、オーストラリアでMA、中国の清華大、浙江大でPh.Dの学位を取得。ゴルフやボウリングなど多くのスポーツ大会に協賛する「ISPS」会長。オペラ歌手、画家、書家、能楽師などとしてマルチな才能を発揮。「強運」(たちばな出版)など著書は270冊を超える。


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